「繰り返し」は音楽の本質

そこで音楽という芸術には「繰り返し」が多用される。クラシックならリピートだったり展開部・再現部で同じモチーフをちょっと変化させて出したり。変奏曲では同じ主題を何度も変奏したりする。
映画音楽では通常メインテーマがあり、例えば原型はオーケストラの演奏なのを、ピアノで同じ曲をスローに変奏したり、ジャズっぽくしたりブラスを入れてみたりして色々出して、最後にまたメインテーマをやや違う形で出すとか。
中学生の頃、映画のサントラ盤を聴いて「なんだみんな同じ曲じゃん。もったいない金返せ」と思ったことがあるけど、要はクラシックなども、もう少しひねっているだけで、やっていることは同じテーマを「手を変え品を変え」なのである。


絵画だったら同じ絵ばかり色だけ変えて描いていたら、それこそ「金返せ」である。まあゴッホとかモネとか、ひまわりや睡蓮ばかり描いていた人もいるけど、後世大家になったから許されるので・・・
しかし音楽ではさして問題にはならない。それはこのような性格による。


ポピュラーでも「AメロBメロサビ、二番繰り返し、間奏、Bメロ、サビ」などと決まった型と繰り返しがある。ある意味ポピュラーは、楽曲面ではクラシック以上に保守的である。曲の保守性をリズムやコードや歌詞の斬新さで補っていると言い換えてもよい。
例えばもし「AメロBメロCメロDメロEメロ」で、一度も繰り返しをしなかったら、終わった後には誰もAメロがどんなだったか覚えていないだろう。
ジャズでもだれでも知っているメロディ(枯葉とか)を即興で変奏したり色々加えて行ったりというのがよく使われる手法である。

基本的な様式を全く無視して人を感動させることは、かなり難しい。