3年前の私的体験など

地震があったら机の下にもぐれと小学校の頃から言われていたけど、ほんとに危険を感じて潜ったのは初めてだった。


職場にはテレビがなく、携帯のテレビ機能はいざというときに電池がなくならないよう使わなかった。
ネットはつながっていたので地震速報を見ると三陸沖とあり、もしかしたら大きい津波が来るかも、とは思ったけどそんなに深刻には考えなかった。
職場は定時前に帰っていい事になったけど、どうせ列車はしばらく動かないだろうしと職場で1時間以上も待機。


そろそろ動いているかなとJRの駅に行ったら、人でごった返していて、駅員の話では今日中には動く見込みがないとのこと。何とかならないのかとも思ったが、後で考えてみると、こう断言されたので徒歩帰宅に踏み切れた。「もうじき動くかも」みたいなことを言われていたら駅前に残り、最近の報道でもあるように大変なことになっていたかもしれない。


飯田橋の神楽坂が早稲田通りで落合、中野方面につながっていると前から知っていたので、自宅も早稲田通り沿いにあるので、早稲田通りを延々と歩いた。神楽坂の店も普通に開いていたし、非常時めいた雰囲気はなかった。
下を地下鉄東西線が通っていると知っていたので、運行再開したら乗っていこうと、時々途中の駅に立ち寄ったが、結局再開することはなかった。
歩きながら「ああ、今日は『魔法少女まどか☆マギカ』の放送は中止かもしれないな」なんてことばかり考えていた。例の10話が、前日の関西に続き、関東で放送予定だったのである。


腹が減ったので早稲田近辺のすき屋で牛丼を食べる。通常営業で特に混んでもいなかったしほんとに平穏だった。とりあえず腹が膨れればありがたいという心境。店員さんは無事に自宅に帰れたのだろうか。
高田馬場を少し過ぎたあたりの電気屋だか飲食店でテレビを流していた。気仙沼が火の海だとか、陸前高田が壊滅したとか、現実とは思えない出来事が放送されていた。


8:30頃家に到着した。12-15kmくらい。3時間くらいかかったか。くたくた。幸い革靴でなくいくらか歩きやすい靴があり、もともとよく歩くので30キロ位歩くのはどうということはなかった。さすがに翌日筋肉痛になった。


CD棚が倒れ、本もかなり落ちて、食器も散乱。この時傷んでしまったものがずいぶんある。今も傷んだ本や割れたCDケースを見るとこの時を思い出す。


テレビではわずかに津波の映像が流れていたが、暗くなっていたので、朝にならなければ全貌はつかめないようだった。あまりの暗澹とした気持ちを落ち着かせるためにモーツァルトの13番(第一楽章しか弾けない)を弾いた。
今日も弾いた。最近この曲を弾いていないので前より下手になったような気がした。


思えば2011年の2月には、京大入試でカンニングが、とか、タイガーマスクがランドセルを・・・なんていうのが毎日トップニュースになっていたのである・・・