音楽に「奇跡の」とか、くっつけるな。

佐村河内守騒動、ゴーストとか、まあよくある話だよなあ、と思っていたけど、どうもだんだん当人の「詐欺師」っぽさが目につくようになって、ああ、実はそういう事件なのかな、と。
むしろこの人の売り出し方から、音楽詐欺の手口の典型を学び、今後の教訓にする方が、建設的でこれからのためになるのでは、と。
障害を乗り越えて創った音楽だから素晴らしいに決まっているというような思い込みとか、あの俗世を超越したような風貌の見せ方とか(それだけに正体がバレると詐欺師くさい)、被爆二世を売り物に交響曲ヒロシマだかを造ったりする(しかも本人は別に放射線障害を負って生まれたわけでも何でもない)、ああいうやり方を反面教師にすべきでは、と。


何というか、クラシックの音楽家に「奇跡の」だのなんだの、音楽以外の物語をくっつけて、だから素晴らしいとしてしまう風潮が、私は大嫌いなのである。音楽は音楽そのもので勝負しろよ、と。
これがポップスなら「奇跡の」とか付けても曲がつまらなければ全然売れないし、尊敬もされない。クラシックの世界が権威主義的で、ちょっと一般人には理解しにくい内容だから、肩書きがもてはやされるのだろう。
そういえば漫画でも「のだめ」とか「神童」とか、よくあるパターンだなあ。


古くは大江光(七光)とか、フジ子・ヘミングとか、最近だと辻井伸行とかだろうか。フジ子・ヘミングは正直、単なるピアニストとしてはお話にならない腕前と思うのだが。
障害を持った音楽家は別に珍しくない。武久源造とか梯剛之とか、マスコミにことさらに障害を強調されてもてはやされていない演奏家はたくさんいる。海外でもオルガニストのヘルムート・ヴァルヒャとか足が不自由なチェリストのピエール・フルニエとか。だからといって彼らが障害ゆえに音楽的に優れているというわけでもない。優れている人は身体がどうあれ優れているのである。


辻井さんは優れているとはいえ、まだまだこれからの精進にかかっていると思うし、氏の将来を思えば、厳しい事を言って叱咤激励する人がいるのは当然だと思う。マスコミが騒ぐことで堕落してしまった音楽家は多いから。
米良美一など、「もののけ姫」さえなければ素晴らしい歌手になったと思うし、ブーニンが近頃パッとしないのも、騒がれすぎて努力を怠ったからじゃないのかなとも思う。

しかしNHKのドキュメントとかを見た視聴者は、辻井伸行は素晴らしい、批判するヤツなど人間として許せない、そんなヤツは人間性がない人間のクズだ、とか言ってしまうのである。
映画「アマデウス」を引き合いに出すまでもなく、芸術性と本人の人間性とは何の関係もないのに。


ベートーヴェンは、たとえ耳が聴こえていたとしていても偉大な音楽家だと思うし、
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『本当は聞こえていたベートーヴェンの耳』
http://www.amazon.co.jp/dp/4757140061/
ヘルムート・ヴァルヒャは目が見えていたとしても偉大なオルガニストだったろうと思うし、ヴァルヒャが「盲目なのに(だから)素晴らしい」などという人は、あんまり海外の言論では見かけないのである。


どうも、それらのほとんどの「物語」「伝説」化には、ほとんどいつもNHKが噛んでいるような気がする。フジ子・ヘミングNHKからだった。
NHKの番組自体は真摯で、なかなか悪くないと思う。制作が悪いというよりは、NHKの音楽ドキュメント系の番組を見た、音楽をろくに理解しようとしない大衆が勘違いしてブレイクしてしまうような。


さらに言えば障害者の音楽家の音楽を批判すると「差別」と言われるかもしれず、批判しづらいから、そこを利用して大したことない音楽を売り込んでる人もいたり。もちろん実力を伴ってる人がほとんどだけど、大江の息子とか、そうだよなあ・・・


この事件から感じる、なんかもやもやした感じは、こんなところである。相変わらずうまくまとまっていない。