80年代の小学校では「ある数をゼロで割ったらゼロ」だった

「9÷0=0」?
http://news.infoseek.co.jp/article/itmedia20121127028nl
「割れるわけないじゃん」という声が多いのに、むしろ驚いた。


少なくとも1980年代の小学校では、「ある数をゼロで割ったらゼロ」と、当然のように教えられていた。算数の教科書にもはっきりそう書いてあったのを記憶している。
当時小学生だった私は、どうしてもこれに納得が行かず、「ゼロはある数の中に無限にあるから、無限大じゃね?」と思っていたし、他のそこそこ勉強できる子も、「なんかおかしくね」と言っていた。
しかしテストでは「0」と書かないとバツにされるので、仕方なくゼロと書いていたものである。
当時はそんなひどい問題が深い考えもなしに平気で出されていたのである。いかに団塊世代の教員のレベルがひどかったか、これだけでもわかる。


もちろん高校の数学では、「x=0を除く」という但し書きが付くようになった。
中学の数学では反比例の関数などでも「x=0を除く」という但し書きはなく、うやむやにされていたような記憶がある。

それでも町は廻っている」の数学教師、森秋が小学生時代に、割り算の余りにどうしても納得が行かないという話があったけど、それどころではない納得行かなさである。


ああ、あと、仮分数はいちいち帯分数(3と1/3みたいなの)に直せ、というのも納得いかなかった。計算するときにはどのみち仮分数に直すのである。けどテストで仮分数で答えを書くとバツだったから、仕方なく手間をかけて帯分数に計算していた。親の世代は仮分数で計算するのが当たり前だと思っていたので、なおさら戸惑った。

そして小学校高学年になると「今まで帯分数に直していましたが、これからは仮分数で書きましょう」などと教師に一方的に言われ、それからは帯分数で書くとバツになった。理不尽である。
こういう「本当は正しいのに、教師の都合で間違いということになっている」という例がずいぶんあった。


一般社会では帯分数など使われない(『フェリーニ8 1/2』くらいか?)。使っても「それ何」という目で見られる。いったいあの教育は何だったのだろう・・・まさか現在もこのような教育が行われていることはないと思うが。


こういうのを見ると、いわゆるゆとり教育が一概にダメとも言えないなあと思う。
もっとも80年台から「ゆとり」への舵は切られていたので、その一環でこのように教えられていた、とも言えるかもしれない。


(後記)
思い出した。
日本史の「大坂」「大坂城」も、小6の社会科の歴史では「大阪」と教わった。私は当然、土へんの「大坂」だと知っていたので納得行かなかったが、土へんの「大坂」と書いた人はバツにされていた。
中学の歴史もそうだった気がするが、今となってはちょっとあやふやである。
高校からは当然「大阪」ではバツになった。まさか今でもそんなことはないよね?