「弟子」の読みについて

中島敦の「弟子」に、近ごろ大抵「でし」と読みが振られている。
しかし、孔子の弟子については、読みは「ていし」である。


困ったことに青空文庫の典拠の、
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/card1738.html
中島敦 (ちくま日本文学全集)
ちくま日本文学全集 36 中島敦 
再販本 http://www.amazon.co.jp/dp/4480425128/
も「でし」とルビを振っている。
これはそもそも本が間違えている。
十数年前この本を買ったときこの誤用に気がつき、「これは違うだろう」と思ったものだけど、今や「青空さんが言っているのだから」と、すでにネット上では「でし」で当たり前のように流通している。


ちなみに大漢和辞典では、弟子の読みは「ていし」のみを採用。解説でのみ「でし」としている。
広辞苑』では「ていし」の項を別に立て、「でし」に同じとしている。
大辞林』でも同じく「でし(弟子)」に同じ、としている。
「弟子三歩下がって師の影を踏まず」の慣用句はなぜか「でし」「ていし」どちらにも引用している。


「未だに・・・している(肯定形)」 と同じくらい気になる誤用だ。
http://d.hatena.ne.jp/nenemuu/20041104#p2


「全然・・・肯定形」 が間違っていない事については、いくらか周知されるようになったようだけど。
「全然OKは、全然OK」などとテレビでやっていたのも、たまたま見た。
漢字の意味を考えれば、否定の呼応の副詞にならないのは明らかなんだけど。
これも、『新明解国語辞典』では、例えば手元の第四版では、

俗に、否定表現を伴わず、「非常に」の意にも用いられる。例「---《てんで》おもしろい」

肯定形は誤りのような書き方をしている。辞書もけっこうあてにならないものだなあ・・・