nenemuu2004-09-22

こないだオペラシティでもらった
手塚治虫カード(ジョーカー)




># 小谷野敦 『愚民よ。クルマの走行がなぜいいのか、説明してみよ。』

だいぶ下の方に小谷野敦氏を称する人のコメントがついてる。なかなか気がつきませんでした。
いくつか疑問を。


1.人のことを愚民呼ばわりしておいて「説明してみよ」という論理がよくわかりません。
私が愚民だからわからないのでしょうか。
そんなことを言われても
「愚民なので説明できません」
としかいいようがありません。。

あるいは、「自分らが選良だと思っている(略)愚民」という意味で言っているのでしょうか。この部分の著書での定義があいまいで、よくわかりませんが、私は「選良」とは思っていないので、その意味では愚民ではありません。
これへの回答は「愚民なのでわからない」「私は選良ではなく、従って愚民とはいえない」の二者しかありえません。


2.そもそもこの書き込みが小谷野氏本人かわかりません。
メルアドもなしに行う一行書き込みは普通「騙り」「荒らし」と称するもので、無視するのがネットでのお約束です。そういえばこの方はアマゾンなどでも本人か騙りかわからないレビューを書いていらっしゃるようなので(ISBN:4751207180)、ひょっとしたら本人かもしれませんが(http://d.hatena.ne.jp/yu_yu/20040921こんなところにも)。


3.それでもあえて「自称・小谷野敦氏」に対する疑問点をつらつら書くと、
まず氏は「クルマ」を自家用車しか想定していないように見えます。著書でもせいぜい宅配便どまりです。
大型トラック等の業務用自動車は、現代社会の物流に不可欠なのは言うまでもありません。コンビニで好きなときに物を買えるのもクルマなしには考えられません。
(それらのクルマすら規制する、共産主義のような統制社会を目指すというのなら、少なくとも論理的には筋が通っていますが)
物流に限らず、仕事で使うクルマはどうなのでしょうか。誰もが会社で机に向かって仕事をしているとでも考えておられるのでしょうか。氏の知り合いはエリートばかりだから、車を使う下っ端職業者などいないのでしょうかね。


また現代日本では、過疎の地方に限らず、だいぶ大きな地方都市でも、クルマなしの生活はかなり困難になりつつあります。県庁所在地はもちろん、名古屋レベルの大都市でさえ、クルマなしだとかなり不便です。カナダのバンクーバーとやらがどうか知りませんが、日本の地方都市の現状をご存知なのでしょうか?
クルマは、タバコと同等にあってもなくてもいい存在ではありません。


それから大都市中枢における、大して必要もないクルマ(娯楽用自家用車)の走行に対する規制に、私は反対していません。むしろどんどんやればいいと思います。
ほんとのところ、私はクルマが大嫌いですから。
(フェミの女もしょせんクルマが運転できる男を好むという意見は、まあよくわかります)
クルマもタバコも規制する。どこに矛盾があるのでしょうか。


それからタバコと飲酒を同列に論じるのはおかしいです。
仕事をしながら公然と酒を飲むことが出来るでしょうか。夜中の繁華街でもない、そのへんの道端で昼間から公然と飲むことは? 「俺は酒なしでは仕事できないんだ」などという論理が会社で通用するとでも?
確かに飲めない人への強要はけしからんです。が、タバコ嫌いな人が煙モウモウの会議室で拷問を受けるという光景が、つい最近までオフィスでは日常化していた(これこそ喫煙ファシズム)ことを考えれば、どちらも似たようなものです。直ちに命にかかわるかどうかの違いにすぎません。「嫌煙」も「アルハラ」禁止も、どちらも結構なことです。
私の父の世代ではタバコを吸わない大人は人間扱いされず、タバコの嫌いな父はずいぶん苦労したそうです。こういうのがファシズムでしょう。「禁煙ファシズム」なんて「ごっこ」みたいなもんです。


ついでにコーヒーとの対比を。コーヒー中毒者は世にずいぶんいますが「道端でレギュラーコーヒーを飲む権利を認めよ」などと主張する人を聞いたことがありません。喫茶店に入ればいいからです。駅ではレギュラーコーヒーを飲めませんが、みんな文句も言わず、カフェインの少ない缶コーヒーで我慢しています。駅にまでご丁寧に喫煙コーナーのある愛煙者が、どれほど厚遇されていることでしょうか。


同様に、街中でタバコを吸いたければ有料の「喫煙店」または喫煙推奨店に入ればいいのです。世界のあらゆる銘柄のタバコやパイプなどの喫煙設備を豊富に揃え、吸い放題の店とか(もちろん他業との兼業でもよい)。そんなにタバコが好きなら、そのくらい身銭を切ればいいのです。
そんな店はないというのなら、造ればいいのです。そもそもそういう店がないこと自体、今まで喫煙者が愛飲者や喫コーヒー者に比べ、いかに厚遇されていたかの証明でもあります。


こうして考えてみると、「禁煙ファシズム糾弾」派の言っていることは、やっぱり「吸いたいから吸いたいんだ」というダダこねにしか見えません。
他の嗜好と異なり「関係ない人間の、体の中に直接侵入してくる、侵略性」という、タバコ最大の(最悪の)特性について、もっと考えていただきたいです。それこそがタバコ問題の本質中の本質なんですから。


自動車の排ガスで相殺するのはインチキな論理です。
排ガスはクルマの本質ではなく副産物であり、技術的に逓減することができ、避ける方法も多々あるのに対し、タバコは煙そのものが目的だからです。


めんどくさいので反論とかされても、再反論はしません。愚民ですから。